2010年2月9日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと

その③ - 私の病気体験から

恵みに気づく

15年前の阪神淡路大震災のときは姫路聖マリア病院に入院していました。回復までの過程を思い出すと、神の恵み、人とのつながりの有難さについて語らざるをえません。

人は病気になると、健康のありがたさや、平凡な日常のありがたさについて痛感するのではないでしょclip_image004うか。しかし、病気が治らないことが明らかになり、自分の存在そのものが脅かされるような状況に追いやられると、もっと我々の存在の根本にあるものに向き合うようになります。我々の存在の根本にあるものは何でしょうか。私は関係性であると思います。超越者(神)との関係性、人と人の関係性です。私が社会に復帰できたことに関して、神と多くの方の力と支えをお借りしてここまで来たことを告白せざるをえません。

先日、NHKテレビで、無縁社会の3万2千人の孤独死という報道番組が放映されていましたが、社会の底辺に近くなるほど関係性(特に家族との)が失われており、孤独死という状況を生み出しているのです。番組の中で、アナウサーが言っていたように、現代では誰でもこのような状況になる可能性をもっています。近代以後は、いろいろの原因がありますが、家族成員間の関係性、社会における人と人との関係性が壊れてきたと言われています。もし人が関係性を失ったまま病気になると、すべてを失う可能性をもっています。私が釜ケ崎で労働者とかかわって経験したことが今、日本中の問題となっているのです。

clip_image006私が大阪の公立病院に入院したとき、一日中不快な症状や発熱に苦しめられました。とくに、寝汗が大変でした。びしょびしょにかくのです。下着を午前中2回、午後2回、夜中一回も変えなければならない日もありました。そんなに着替えの下着がありません。私の病室の廊下を隔てて丁度向かい前にコインランドリーがあり、他の患者も使っており、それが空くのをいつも眺めながら寝ていました。そんなとき、聖ヴィンセンシオの愛徳姉妹会のシスター(釜ケ崎では隣同士)が、そんな沢山の洗濯を引き受けましようと言ってくださり、大変助かりました。その後、その時お世話になったシスターの方が、先に神に召されてしまいました。

病状は、段々悪くなっていくような感じで、もう立ち上がれないかもしれないと思ったりもしました。しかし、医師が「別の薬を試してみましょう」と言って投薬された薬で、劇的に効果が現れ、それから症状が消え始めたのです。医師の働きを通して神が恵みを与えてくださったのだと今も思っています。私にとっての貴重な神の恵み体験でした。

こうして、徐々に回復していき、退院のことを考えてくださいと言われ(急性期の病院は入院3カ月までという原則がある)ました。一度、二・三日の外泊で腎臓病の食事療法(非常に厳しい食事管理)で生活し、外泊後再検査して食事管理が可能となれば退院はOKですと言われました。このことを、このシリーズの二回目に書いたその病院で難病を抱えながら働いておられた信者の看護師(ご主人と二人暮らし、ご主人も信者)に話したとき、「私のところに来られたらその難しい腎臓病の食事をつくってあげますよ」と言ってくださり、結局その好意に甘えてそのようにさせてもらったわけです。

clip_image008退院が決まると、退院後どこに行くかという問題になりました(長期療養者はこのことで悩むことが多い)。釜ケ崎は無理だし、私自身この体力ではまだどこかの病院で入院を続けたい思いでした。そのことを本田神父に相談すると、本田神父は、すぐに姫路聖マリア病院のシスターに連絡をとり、転院のOKをもらってくれました。そして、退院後の4月からそこで学びながらずっと働かせてもらったわけです。

回復への過程を思い出すたびに、この紙面では語りつくせない神と人からの恵みが、益々見えてくるように思えます。このような人からの恵みを、アッシジのフランシスコは、兄弟(真の関係性)という言葉で表現しているのではないでしょうか。人間存在の根本にこの関係性があり、神が隠れておられるのです。

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