2010年5月12日水曜日

「生と死の医療現場で考えさせられたこと」その⑥

相手の気持ちを受け止める

病人訪問していて、その方の抱えている問題の解決に何も寄与できていないのに、「聴いてもらえてよかった」と喜ばれることがよくあります。どうしてなのでしょうか。自分が悩みや苦しみを抱え、その気持ちをため込んでしまっていることがよくあるのにかかわらず、聴いてくれる人がないからではないでしょうか。語る機会が与えられることは、語る人の重い気持ちを和らげます。辛いとか、不安とか、落胆、悲しみ、怒り、葛藤などの気持ちです。感情とも言われ、気分、情動とも言われる領域です。情動は人間存在の根底にあるものです。そのことを私たちは案外理解できていないのです。

病人の気持ちは案外周りの人に理解されていなimageいのです。たとえば、入院中の病人を訪問していると、家族や知人から「頑張りなさい!とか、頑張らないと!」と言われ、自分を理解してもらえなくてストレスを貯めてしまっている病人に出会うことがあります。親が子供に、子供が親に、夫が妻に、励ます意味で言っている言葉が、本人にストレスとなっているのです。抗がん剤を打ち続けていてもう限界と本人が思っているのに、本人の気持ちを置き去りにしてそのような叱咤激励の言葉を家族が言い続けることがあるからです。その反対の場合もあります。病気が治る見込みがないので、家族も周りの人も本人をそっとしておいたような状況で、病人自身の方は「頑張って!」と言ってほしいと思っていることもあります。

ある病人が、同じ病室の他の患者から「今日は顔色が悪いね、どうしたの!」と言われ、落ち込んでしまったことを私に語ったことがありました。その人は重大な病気を抱えていましたが、一週 間前医師から検査結果がよくなっていると知らされて、希望を与えられたと喜んでいたのです。それがまた悪くなったのではないかと不安になったわけです。私たちは現象を見て、その現象から相手や対象を判断してしまうことがよくあります。しかし、ある現象からだけで相手や対象を正しく認識できたとは言えないのです。病人とかかわるとき、相手の気持ちを置き去りにして相手を判断してしまっていることがよくあるのです。人は、自分が相手に理解されていないと思うと心の葛藤を抱えるとともに、ほんとうのことを言わなくなる可能性があります。私たちは相手から理解されていると思うと、相手に心を開くからです。その後、自分の人生の物語を語ら れるようになる場合がよくあります。

現代社会では、人間の理性や意志が重んじられます。しかし、現代文明そのものの源流である西欧文明そのものが、アリストテレスによって人間を理性的動物(animal  rationale)と規定されたこともあって人間の情動の部分が置き去りにされてきた傾向があるのではないでしょうか。神学もそうではないでしょうか。その点、アメリカの神学は心理学imageによって明らかにされた人間の情動の部分に配慮した司牧心理学(牧会心理学)を発展させました。これは、私が病人と10年以上かかわってきた経験から思わされることです。病人とかかわるとき、「今の気持ちはいかがですか」とよく聴いてみることから、始めた方がよいと思います。

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