2010年9月6日月曜日

「生と死の医療現場で考えさせられたこと」 その⑨

ケアにおけるパースペクティブ

病院で亡くなられたAさん(男性)の一周忌のお祈りをその方の妻から依頼されて、家を訪問したことがありました。お祈りが終わって息子さんから、『親父は神父さんが来るのを待っていたよ。今日は来てくれるかな?と言っていた。』と言われたのです。それを聞かされて、びっくりしました。なぜなら、Aさんのこの言葉が、私がAさんに対しimageて抱いていたイメージとは違っていたからです。

Aさんは、以前は麻薬捜査官でした。定年前に退職し、仕事上必要だった得意の英語を生かしてフィリピンの小学校で子供たちに日本語を教えていました。そこで病気になり日本に帰って入院したというわけです。仕事の経験から犯罪の背景に貧困が関係していることが少なくないことをよく理解していました。そんな彼がフィリピンにはフィリピン女性と日本人男性の間に生まれた子供たちが大勢いることを知って、子供たちに父親の母国語である日本語を教える必要性を感じるようになったのです。

病室を訪ねるうちに、痛みが強いのでとてもお話しすることができる状態ではないと思うようになりました。それで、Aさんの訪問を私の方から控えたのです。実際、それまでにAさんのような状態にある患者さんを訪問して、患者さんの方から『今日はお帰りください』と断られたことが何度かあったからです。医療の世界では一般的にマズローの欲求段階説が受け入れられていますが、人間には「生理的欲求」や「安全性imageの欲求」がまずあって、それが満たされて段々と高い欲求をもつようになると、マズローは言います。「自己実現の欲求」、さらに「生きる意味」や「真理を求める欲求」はより高い段階の欲求になります。

妻がAさんの傍にいつも付き添っておられました。息子さんのご家族もよくAさんの病室で見かけました。それで、とくに訪問の必要性はないと考えていました。こんな場合、病人への大きな精神的支えは、「家族が寄り添うこと」であると言われますし、そのことが私自身の臨床での体験でもあったからです。さらに、本人からも『待っています』というような言葉もありませんでした。ですから、Aさんへの精神的ケアのための訪問の必要性は当面ないと考えたのでした。

しかし、人生の後半の自分の使命を見出したにかかわらずここで挫折してしまうことは、Aさんにとって耐えがたい精神的痛みであることが、やがて分かったのでした。「フィリピンに帰りたい。子供たちに会いたい。もう一度だけでもフィリピンに行きたい」という強い願いもありました。結局、その願いは実現せず、フィリッピンから現地で親しかった方が会いに来られることだけで終わりました。

Aさんはまもなく亡くなられ、妻 はその後Aさんの闘病記を出版されました。それを読ませてもらってAさんとの関わり方について強く反省させられたわけです。病者との関わり方では、まず傾聴すること、そしてコミュニケーションが大切だと言われます。私は、それとともにAさんとの関わりの反省から、パースペクティブ(視界)の問題も大きいと思うようimageになりました。パースペクティブはもともと絵画の遠近法 で言われる言葉ですが、対象をどこから、どのように視ているかという問題です。対象をどこから、どのように視ているかによって対象の捉え方、理解も違ってきます。病者との関わりにおいても、相手をどこから、どのように視ているかによって相手がよく視えているときと、視えてないときがあるのではないでしょうか

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