2010年10月19日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと 10

生活環境を整える

高齢者をはじめ長期の療養生活を余儀なくされる病人を支えるにあたって、最初にあげられる大事なことに「生活環境を整える」ことがあります。たとえば、住居を車椅子でも使えるようにすること、転倒しないように部屋や廊下やトイレに手すりを取り付けること、ベットを療養生活がしやすいものに取り換えることとかです。食事もその病人の病状や嗜好に応じた食事内容にすることも入ります。

さらにリハビリテーションを受けて身体の機能を少しでも向上させること、家族のマンパワーが不足しているときは訪問看護やヘルパーのような社会資源を利用することもよくあります。いずれも、食事・更衣・移動・排泄・整容・入浴など基本的な日常生活活動(医療現場ではADLと言っている)の維持、向上のためです。

以前一人の兄弟が、足が弱くなって自分の部屋がある二階へ階段を上がるにも日々苦労したということを話してくれたことがありました。病人や高齢者にとって生活上の不自由さは日々の苦痛となります。彼らの「生活環境を整える」ことは、ある意味で精神的ケアの出発点ともなるものです。

食事がまったく摂れなかった人が、プリンやヨーグルトのようなものでも摂れるようになると、見違えるように顔の表情が生き生きしてきたりします。長期に病院に入院していた人が在宅療養に切り替わると、それだけで元気が出てくる場合も少なくありません。

あるとき、訪問看護ステーションの看護師と一緒にALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性の患者を訪問したことがありました。寝たきりの生活で一人では何もできない状況でした。家族と訪問看護とヘルパーさんの日々のあたたかい支えがあって在宅療養が可能になった人です。すべてのことで人の世話を必要としますが、顔の表情は生き生きとされています。

なぜだろうかと思ったのですが、とくに家族や訪問看護師とのコミュニケーションがよくできていることも大きいのではないかと私には思えました。生活上のことは、家族や訪問看護師が本人の唇と目のかすかな動きをキャッチしてコミュニケーションをとっています。さらに、本人が障がい者用のパソコンを使って、親しい人や病気の仲間とのメール交換もされていました。

このような生活環境を整える指標は医療や福祉の分野では「クオリティオブライフ(Quality Of Life)」と言われ、一般にQOLの名称で呼ばれ「生活の質」と訳されています。医療や福祉の現場においては、QOL評価の基準も使用されています。

1998年のノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、QOLの考え方を開発途上国の人間らしい開発援助の理論化に応用しました。センの理論は、潜在能力アプローチと呼ばれ、厚生経済学だけでなく、医療や福祉の分野でも注目されています。人の存在の「よい状態(well-being)」を考えるにあたっては、生活上でのさまざまな「機能(人がなしうること、人がなりうるもの)」と、これらの機能を達成する「潜在能力(capabilities)」に関心を集中する考え方をします。

このような考え方に立ちますと、さまざまな機能がQOLの対象になる可能性が出てきます。我が国のターミナルケアの分野で定着しつつあるスピリチュアルケア(以前は霊的ケアと訳されたが、現在はそのままの名称で使われている)もQOL機能の一つとして取り扱われることが可能になります。

0 件のコメント:

コメントを投稿