2010年11月16日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと 11

スピリチュアルケアについて

あるとき、一人の60歳代前半のターミナルの患者、Aさんが入院されたときのことです。病室を訪問すると、不安な表情で、何かを話したいような様子であったので、私から「今のお気持ちはいかがですか」と聞きました。そうすると、「実は、自分は学生時代にキリスト教で洗礼を受けた。けれども、卒業してからは全く教会には行ってない。病気になったのもそのせいかなと思ってしまう」というようなお話でした。私が、「キリスト教の信仰は残っていますか」と問い返すと、「全くない」ということでした。私から、あなたは、自分には今信仰は残っていないと言われました。

しかし、聖書において語られる神は、私たちに赦しを与えてくださる方です。この病院にも聖堂があります。そこに一度行ってみられたらどうでしょうか」と提案してみました。Aさんは、病棟スタッフに案内されて車椅子で聖堂に行かれました。聖堂から戻られてからは少し気持ちが落ち着かれたような様子でした。その後、残念ながら、聖堂に行かれたときのことをお聞きするチャンスを持てないままにAさんとの関わりは終わりました。

果たして、Aさんのような告白に対して、私のあのような返し方がベターであったかどうか分かりません。しかし、大きな病気をもった人が、Aさんが言葉にしたような罪責感というスピリチュアルペインを経験することはよくあることだと思います。

スピリチュアルペイン、スピリチュアルケアは終末期医療のケアに伴う医療現場の経験から指摘され広まったものです。一つの理念がまずあって、そこから指摘され広まったものではありません。

WHO(世界保健機間)も、「スピリチュアル(霊的)とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を現す言葉である」と言っています。また、「多くの人々にとって、生きていることがもつスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、スピリチュアルは宗教的と同じ意味ではない」とも言っています。そのため、宗教的ケアとスピリチュアルケアは重なる部分もあるが、基本的には違うものとして区別されます。

Aさんのような事例は宗教的ケアでなくスピリチュアルケアからかかわるべきものと思われます。なぜなら、自分には信仰は今残っていないと言われるからです。スピリチュアルとは、すべての人間の存在の根源にあるもの、すなわち人生の意味や目的、存在の根拠に関係するものと言えます。人生の危機に、日常隠れていたものが露わになるのです。この面の学術的な研究も盛んになってきています。しかし、医療現場では、まだスピリチュアルペイン、スピリチュアルケアの共通理解は出来てはいません。

スピリチュアルケアは終末期医療だけでなく、今日適応領域が広がり、がん治療、救急医療、心身医学、そして老人福祉をはじめとする社会福祉、子育ての領域にまで広がりつつあります。

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