2010年12月21日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと 12

現代・日本人のスピリチュアリティについて思うこと

現代にスピリチュアルブームという一つの現象が見られます。ホスピス病棟という現場で、10年間チャプレンとしてスピリチュアルケアに携わった経験から率直な感想を述べてみたいと思います。

ホスピス病棟では、スピリチュアルケアについてカンファレンスで病棟スタッフがお互いの情報や意見を交換します。一人ひとりのケアの方向性は、チャプレンの私の見解を参考に病棟全体で決めます。チャプレンが存在しない一般の緩和ケア病棟では、患者・家族と頻繁にかかわる看護師の見解が、もっとも大きな比重をもちます。そのため看護の分野でスピリチュアルケアを学ぶ人が増えています。

医療現場では、患者の価値観をまず尊重することが大前提で、そこからがスタートです。患者の口から表出されるスピリチュアリティの内容に、一人ひとりの価値観、考え方の違いが現れます。病院が大都市型か地方型か、ケアが緩和ケア病棟型かホスピス型かでも現れ方が違ってくると思います。しかし、どこでも共通して今の日本のスピリチュアリティの特徴が現れてくるとも考えられます。

現場で宗教的ケア中心に関わった事例は、そんなに多くありません。神や信仰について話してほしいと頼まれたことはありますが、少なかったと言えます。このことは、人々に宗教意識が存在しないことを意味しません。また、キリスト教のような超越的な存在と人格的つながりをもつ宗教の意味がないということでもありません。宗教心は、お正月の初詣とか、お盆やお彼岸への墓参などに見られる先祖供養、死後は先に亡くなった家族と会えるというような伝統的宗教意識があるということです。

それと、宗教そのものへの警戒感、ある意味で既成宗教への不信も隠れているようです。このシリーズで以前触れたように、「人生の生き方」を真剣に考えようとする人は増えてきています。世界や社会に現れる現象に、人々は先行きに不安を感じているのではないでしょうか。

とりあえず、病気になったときのことだけは、考えておこうということになります。彼らの多くは、家族に再び目を向け、「自分らしさ」を取り戻そうとします。それだけ、この二つの面が疎外されているのでしょうか。ホスピスではこの二つが、自分のスピリチュアリティの課題だと意識する人が多いのです。

終末期患者の多くは、心の揺れ動きを経験しながら、やがて「死」を受け止めて逝かれます。そんな中で、比較的平静に受け止める人が存在します。ある著名なホスピス医師は、過去の人生で「小さな死」を積み重ねた人が、そのような平静さを持てる人ではないかと言われたことがありました。私も、どうもそのように思います。この世に大きな足跡を残せない、この世から忘れ去られていくような庶民にこのような人々が少なくないことに感動しました。

「小さな死」とは、人生の出来事や出会い、日々の仕事、とくに試練と向き合いながら、「自分自身に死ぬ」ことです。『夜と霧』の著者フランクルが言う、「人生自身の方から問いかけてくる」ことに耳を傾けることです。「狭い思いの自分」でなく、自分と「内なる真実の自己」との関係性であり、他者との向き合い方、かかわり方でもあります。自分を超えた大いなる存在(神や仏、自然や宇宙のいのち)との関係性にもつながります。

ある人にとっては、親の背中を思い出すことであり、ある人にとっては、昔からの「諺」に見られるような知恵に感動することでもあります。また、何気ない他人の言葉に促されることもあるのではないでしょうか

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