2011年4月12日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと 15

大震災の危機が続く中で祈る

今も東日本大震災の危機は続いているのではないでしょうか。3月11日は、教会の四旬節が始まった2日後でした。あれから一カ月、危機は第二段階に移行しています。ほとんどの被災者たちは、「頑張らねば、」と思いつつ、「自分たちの無力さ」に打ちひしがれています。

家も仕事も、妻も夫も、親も子供も、兄弟も友人も、地域の人々も何もかも失ってしまって。何も残っていない。家族を助けることができなかった自責の念、葬儀もしてあげられない辛さ。

行方不明の家族が生きていてほしい、生きているかもしれないという希望。原発事故による放射能汚染の中で暮らす人々の不安、普通の生活を奪われ、これからどうして生活したらよいのか分からない日々。原発事故に対応のあたる人々の危険と、立ちはだかる多くの困難。とても言葉にならない数々です。「この状態で何ができるの」と思いつつも立ち上がろうとする人々が、大勢います。

被災者たちの思いに寄り添いつつ、先週に続き、拙い小さな祈りを作ってみました。

・震災で家族を亡くした方々のために

すべての人の父である神さま

主イエスは十字架上で苦しみ、私たちと同じように死を味わわれました。

そしてよみがえり、復活して、あなたのもとで私たちのためにとりなしておられます。

震災で亡くなったすべての人々のために祈ります。
彼らがあなたのみ国であなたの安息のもとに憩い、
復活の恵みを受けることができますように。

私たちの母であるマリアさま
十字架上のイエスの傍らで、たたずみ、祈り続けられました。
震災で亡くなった人々のためにどうかお祈りください。
主キリストによって、アーメン。

・被災から立ちあがろうとする人々とともに

あわれみ深い父なる神さま、
震災の出来事に打ちひしがれ、無力を感じる人々と共にいてください。

主イエスも十字架上で無力なご自分を経験されました。この人々を癒し、支えてくださいますように。

無力さにあっても「立ち上がろう」とする人々も力づけてください。

私たちも四旬節中、主の十字架を思いつつ、祈り続けることができますように。

主キリストによって、アーメン

0 件のコメント:

コメントを投稿