2012年4月17日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと(22)

医療現場で福音を伝える (2)

私の勤めている姫路聖マリア病院は地域の中核病院の一つで360床の急性期の総合病院です。老健施設100床が併設されています。病院では、毎朝のミサの模様がすべての入院患者の消灯台に設置されているテレビに流されています。ミサのテレビ放送を見てミサに出席しようとする人がありますが、放送を見ている人がごく少数ですので実際にミサに出席する患者もわずかです。

新約聖書は病室にギデオン協会から寄贈されたものが置かれています。患者や家族が聖書を読んでおられることがあり、チャプレンが質問を受けたりすることもあります。そんなとき、それぞれの方に合った説明をするようにしています。けれども、そのような機会があることも非常に少ないのが現状です。

カトリックの雑誌も病院のロビーや外来の待合室や病棟の談話室には置かれています。読んでいる方の姿をよく見かけます。単なる診察前などの時間つぶしなのかもしれません。その雑誌を読んでいる外来患者からキリスト教について質問を受けたりしたことはありませんでした。ただ一日700人以上の外来患者があるわけですから、カトリックの考え方について地域の人々にある程度知らせることには貢献していると思います。マリア病院は姫路で知らない人がないぐらいよく知られています。医療活動をとおして地域に証することだけでなく、言葉をとおしてもどう証ししていくかの課題は残されています。

病院とのつながりがきっかけで洗礼を受ける人もあります。しかし、数から言えばごくわずかです。その場合も、その人の歴史においてほとんどそれ以前に何らかのキリスト教とのつながりがあったり、家族がキリスト者であったりすることが多いのです。洗礼とは、たましいに渇きをおぼえている人が、神の霊に導かれる関係から成り立つものです。どちらも欠かすことはできません。福音をつたえる人は、この両者の僕の役割を果たす人ではないでしょうか。

一人のある若い女性が大学を卒業する一週間前に難病を発病して治療のため病院を転院するうちに私たちの病院にも入院したことがありました。シスターとの出会いもあってカトリックの洗礼を受けたいという表明があり、私が入門講座をして彼女に洗礼を授けました。洗礼式には、高校生のときからプロテスタントの教会に行っていたつながりで、その教会の牧師も出席してくださいました。その後彼女は10年間病院を転々とする闘病生活の末に神のもとに召されてしまいました。回復の夢はかないませんでしたが、今は神さまのもとでの幸福をいただいていると思います。

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