2012年8月21日火曜日

生と死の医療現場で考えさせられたこと 25

「自死の問題」

自死行為を発見されて救急入院してくる人に時々出会います。同じ人が何度も自死行為に及ぶこともあります。今まで出会った事例では多くが薬物によるものでした。カルテに薬物中毒と書かれていたので初めは何の薬物中毒かなと思いました。自死行為から救急車で運ばれて来ても、すでに死亡されているケースもあります。最近は割腹行為によって救急入院した高齢者もありました。

マリア病院の中imageで自死行為に至った人が過去にあったことから、病院もその気配がある人には注意するようになっています。内閣府の『自殺統計白書』で、自死者の原因・動機別資料では、健康問題が原因・動機のトップになっています。次が経済・生活問題のようです。20代の若者では、死亡者のトップが自死者だそうです。

自死に至る人の苦しみには複合的にいくつもの理由が重なっているのでしょうが、健康問題が引き金になることが多いようです。治らないような病気を抱えて希望が断たれたときは、希死念慮の思いが出てきがちです。終末期などの危機的状況で、生活の質も著しく低下した患者から「死にたい」という言葉が出ることがありますが、そんなときは要注意です。

私がマリア病院に勤めた最初の頃には、糖尿病患者でインシュリン注射をしなければならないようになって、それを悲観して病院の誤解から飛び降りた患者がありました。その人が病気についての自分の思い込みで判断するのではなく、正しい知識をもっていれば防げたのではないかと思いました。 医師や医療従事者も、患者が正しい知識をもてるような説明と、その人が安心や納得できるような対応の仕方が大事なのでしょう。

私自身にも苦い体験があります。あるとき、何か私に相談したいふりをした人がいました。数日後自死に至ったことを聞いたときはショックで、なぜあのとき丁寧に相手の思いを聞けなかったのかと後悔しました。私もよく知っているキリスト者の死が自死だったと聞かされたときも、ショックでした。どうして、なぜ、という思いになりました。

image6月の日本パストラルケアカウンセリング協会の大会講演で、精神科医の平山正美氏が、空虚感、見捨てられ感をもった人が、認知の歪みや感情の不安定さ、対人関係機能障害や衝動コントロ-ルの欠如がある場合、その人にあった防衛(たとえば依存的とか、演技的とか、うつ的とか、躁的とか)が破綻すると、衝動性が露出してきて自傷行為に至ると説明されました。

平山先生はキリスト者の自死の問題についても触れられました。キリスト者は、人格であり「永遠の生命」に至る聖霊を心の内に宿していると同時に魂と身体をもつ存在である。精神を病むことによって、魂と身体の部分が物理的に殺されても、霊の部分、すなわち人格の部分は救われ癒されているはず。自死者の家族に対するスピリチュアルケアの基本は、援助者がこのことを家族に悟れるようにすることだと言われました。

7月に神戸で日本カトリック医療団体協議(カトリック医師会、カトリック看護協会、カトリック医療施設協会の合同集会)会の全国大会が開かれました。カトリック医師会の澤温氏は、精神科の救急医療もされている医師ですが、自死行為の可能性がある人をいろいろの場所で緊急的に受け止められるような体制があった方がよいと話されました。カトリック看護協会では、『ぶどう白書』という小冊子を作り、この小冊子を使って自死を思いとどまらせる取り組みを始めようとしていることが紹介されました。

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